古民家暮らしと南の島と

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2015年 03月 13日

捨てると新しいものが入ってくる…

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2月23日、母が亡くなってっまる2年の命日の朝、久しぶりに青空がのぞいて良い気持ちの陽気でした。土曜日に家で三年忌を終えて、何か、大きな区切りを迎えた気がして、「今日は一日、母との思い出に浸っていよう」と決めていました。小菊の花を買ってお墓へ。お線香をあげ、手を合わせながら、母の納骨をした日のことを思い出していると電話でした。

それは、義理の母が、骨折をしたという知らせ。電話の向こうの医者は、「とにかくこれから済生会病院に来てください」と。なんで、よりによってこんな日に、義母は骨折をしたのか…「どうしても病院に行かないといけないですか」と私は電話で言いましたが、行かないという選択肢はないだろうと分かっていました。

夕飯に母の好物の炊き込みご飯や煮物を作って、仏壇に供えようと思っていたのに…

支度をして、電車に乗っても気持ちは晴れません。そして、病院では、検査の間吹きさらしの玄関に2時間待たされ、入院が決まって手続きをして、帰るに帰れない私。外はとっぷりと日が暮れています。義母はきっと私に気をつかっているのでしょうが、「もう遅いから、帰ってください」と。けれど、看護婦さんは帰してくれない。「食事の手伝いをしてください」というのですが…
ようやく6時半の特急に飛び乗ったとき、心身ともに疲れ果てていました。

そして、翌々日、再び病院から電話。「来週手術をするのですが、お兄さんは来れないそうですが、あなたは来られますか?」と。予定を聞いて、良いですよと答えたものの、電話を切った後で、手術の承諾書にサインをするのは、私にはできないと思い直す。

そして、
私の中で何かがぷつんと音を立てて切れました。

義母が気の毒だからと頑張っていたこの半年、義母の口から「ありがとう」という言葉は一度もなかった。「あなた、とばっちりね」「悪いわね~」とは言うけれど、ありがとうはなかった…「ありがとう」を言いまくっていた実の母のことを思い出し、ああ、言葉に出すってほんとうに大事だと思いました。
結局、義母は、私にはあまり世話をしてほしくなかったんだなぁと、しみじみ思いました.やむ終えず、やってくる次男の嫁に頼っているけどホントは、実の子ともにやってほしかったんだ。

「もう、やめた」と夫に告げました。あっぱれな夫は「もう、十分やってくれたから、いいよ」と答えてくれて、私は介護卒業を宣言しました。父の時から計算すると4年半です。自分の両親は見送ったし、良いよね~
卒業宣言をしたあと、すばやく、美容室に予約を入れました。
もう、人のことは良いから、自分のために時間を使おう、と思いました。

翌日、美容室に向かう途中に電話が入り、ケーキ屋さんから、ジャムのラベルに使うフランス語を書いてくれないかとの依頼。お礼はお菓子、とのこと。喜んで引き受けました。

また、次の日、大学のFD講演会に参加したところ、これがまた、実り多いものでした。文学と、外国事情概論の講義で、グループワークをさせていたのですが、これは、「アクティブラーニング」と言い、最近、文科省から大学でやるようにとお達しが来ている、最先端の講義法だと分かったのです。

「アクティブラーニング」の話を聞いて、久留米大学にその専門の先生がいるとわかり、研究会に参加させてもらうことにしました。セルフラーニングから、アクティブラーニングへ。これまで学んできたものから、大きくステップアップして、あと10年はっじゅうぶん楽しめそうです。
介護を続けていたら、きっと、自分の可能性を狭めていただろうと思います。「いや、時間がないからできない」と言い訳をして。もう、それはいや。
これからの人生は、自分のやりたいことを大事にやっていきます。

振り返れば、この半年、わくわくすることがなかった。だから、体調も悪いのかと妙に納得。春だから、わくわくすることに向かっていこうと思いつつ…
写真は、ラベルのフランス語のお礼にもらったケーキです。
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# by theresesakai | 2015-03-13 23:13 | 日々の暮らし | Comments(0)
2015年 02月 12日

もう、マドレーヌはいらない…

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節分を過ぎ、夜明けが少しずつ早くなってきました。
長い間続いた夫と別々の暮らしが、ようやく終わりに近づいています。引っ越しに伴うもろもろの心配もありながら、少しずつ、少しずつ、前に進んでいる実感があります。

そんな中で、今年の仕事もほとんど終わり、あと試験を一つと、レポートを見るだけ。
一年を振り返る時期ですが、今年は、何か一つの区切りを感じています。

2010年の夏、父が亡くなってから、翌年、仕事を再開するためのアプローチをはじめ、2012年4月から、再び教壇に立ちました。
それまで、フランス語の講義しか持っていなかった私は、『フランス文化』という講義をどうやって進めて行けばいいか、相当悩みました。悩んだ末に、生まれて初めて、パソコン持ち込みで、画像を見せながら講義を勧め、後半はDVDを見せて、質問を書いてもらうスタイルを取りました。
とにかく、教壇に立って、進めては行くのですが、自分の中にわき起こってくる自信のなさに、ずっと悩まされていました。

半年過ぎて、学生に取ったアンケートを読むまで、ドキドキしていましたが、それなりに評価が良かったので、いくつかの要望に応えて、授業を展開させていきました。
例えば、それまで作っていなかったレジュメを作って配ったり、質問に答えるコーナーを冒頭に作ったりしたのですが、自信はなかなか生まれてきませんでした。
そんなとき、思いついたのが、フランスパンやチーズの試食。
そして、自作のマドレーヌを配るという、食文化の授業。

工夫次第で、講義はおもしろくなるし、学生を引きつけることも出来るというのが持論なのですが、今振り返ってみると、意外と実行に移せないことも多かった沖縄時代。
思い切ってやってみたのは、場所が変わったからなのか…私が年を取ったからなのか…
それなりに自分でも満足して3年目の講義が終わったのですが、
マドレーヌを配った今年のフランス文化の講義が終わって、自分の中から、『もう、マドレーヌはいらないな』という気持ちがわいてきました。

理由はたった一つ。
食べ物を配らなくても、伝えたい事を伝えることができる。自分の講義は十分面白いものが出来ているという自信が生まれていたからです。
ここに来て初めて、自信のなさが、バゲットを配ったり、マドレーヌを配ったりする行動につながっていたのだと分かりました。

話は飛ぶのですが、沖縄でNPOをやっていた時代に、何人かの友人が起業しました。
みんな、今は立派にやっていて、それを思い出すと私自身の励みになるのですが、その中の1人が、教室を開いていて、そこでお菓子を出していたことがありました。
なかなか利益を出せなかった頃に、経営のアドバイスをしてくれた人が、『お菓子はやめても良いんじゃない』と言ったことを聞きました。詳しいことは覚えていないのですが、媚びなくてもいい、ということだったと記憶しています。それより教室の中身をもっと良いものにしなさいと。

もちろん、私がお菓子を配るのは、学生を驚かせたい、喜ばせたい、と言う動機もあるのです。
それ以上に、私の中のマイナスもあったなぁ、と。
今年は、勉強しない学生、言われたことをきちんと守らないレポートを書いた学生、容赦なく不合格にしました。まったくためらいがなかった。今まで媚びていたなぁと思います。

妙なものですが、自分がやっていることに自信が持てると、勉強しない学生が悪いとはっきり判断が出来ると言うことなのです。
『教えない教育』だとか、『セルフラーニング』だとか、頑張っていた2000年~2010年頃は、学生と対等であることがいい教師の条件だと思っていました。勉強しないのは、教師の責任もどこかにあると思っていた。
教育現場もどんどん変わって、学生のところまで降りていって世話をやくようになった今、学生が勉強するかというと、その状況はたいして変わらないのです。やらない学生はやらない。
ほとんどの教師が学生のところに降りていく時代、対等感が学生に悪影響を与えている部分も否めません。

時代が変わり、私が50歳を過ぎて、年を取ったと言うことなのでしょう。
教育に対する考え方の根本は変わらなくても、学生との接し方、教え方、少しずつ変わっていくのが自然かなと思います。
後任が引き継いでくれて、沖大で続いていた教養数学の講義も、今年度で終わります。
2014年で何かが大きく変わり、新しいステージに立ったのをひしひしと感じます。

6月に孫が生まれると、おばあちゃんということになります。
孫の世代へ伝えていくものは何なのか?孫の成長と共に、ゆっくり考えることになるのでしょうか。それもまた、楽し。新しいステージへallons-y!

追記:沖縄で、このブログを見てくださる方へ
2015年3月いっぱいで、沖縄の家を引き払うことになりました。3月15日から20日まで、ガレージセールの予定です。もし、来てくださるようでしたら、個人的に連絡をください。よろしくお願いします。

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# by theresesakai | 2015-02-12 11:32 | お仕事 | Comments(2)
2015年 02月 04日

古いものを大事にする暮らし

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実家にあるピアノのお話です。

私が小学生になった頃、父がピアノを買ってくれました。
ピアノがほしいと頼んだ覚えは全くありません。早生まれで、同級生の中でも飛び抜けて小さく、幼い小学生だった私は、引っ込み思案で、ピアノ教室の先生が大嫌いでした。
何でもドイツに留学し、帰国してピアノを教えているというその女の先生はヒステリックで、私が弾き損なうと、小さな手をパチンと叩くのでした。

そんな私に、何で父がピアノを買ったのか…父も母も、もう亡くなってしまったので、聞く事はできませんが、昭和40年頃、時代が高度経済成長に入りかけ、ピアノがうちにあるということがステータスになっていたのだろうと思います。

父が買ったピアノはおきまりのヤマハではなく、ドイツ風の名前がついていました。スタインバッハ。
なんとなく、父がヤマハよりもいいピアノを買ったのだろうと思っていたのですが、実はこのピアノ、鍵盤がすごく重くて弾きにくかったのです。
ただでさえも先生が怖いし、うちのピアノは弾きにくいし、レッスンすると必ず発表会に出されるし、人前で弾くなんてとんでもなかったので、9歳でピアノはやめましたが、30代後半、突然ピアノを習い始めました。

それは、子どもたちが習い始めたピアノの先生が素敵で、大人もレッスンするというので、それも、弾きたい曲を練習してもいいと言うので始めたのでした。沖縄でもピアノを買ったのです。それも、悩んだ末に、父が買ったのと同じ、スタインバッハ。
結婚してからずっと、九州に戻りたい、早く、引っ越したいと思い続けていた10年が過ぎ、もう、沖縄で自分の場所を作ろう、と思い始めた頃でした。『引っ越しをするから、○○はしない』という、自分の中の決まり事を破ることで、いつまでも、今の自分と向き合えない状態を何とか脱出したいという思いでした。

そして、ピアノを買った頃から、私は沖縄に自分の居場所と多くの友だちができました。

そんなキッカケになったスタインバッハですが、実は、ドイツ風の名前でありながら、浜松の平和楽器という小さな楽器屋さんが作っているピアノなんだそうです。
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今回、沖縄からの引っ越しにあたり、真っ先に考えたのはピアノのことでした。
久留米の実家のピアノを見てもらい、使えないのなら処分して沖縄の物を持って来る。実家のピアノが使えるなら、沖縄のピアノは息子のところに送ることになりました。だけど、こんな古いピアノのことがわかる人がいるのか??
不思議なことにインターネットの検索で、『リメイク音や』さんという方にたどり着き、ピアノの相談に乗ってもらうことになりました。そして、見てもらった結果は、50年前の実家のピアノ、楽器としてはだいぶ、ご老体ですが、手を入れれば使えるので調律をするといいと言うことでした。
このピアノが出来た昭和40年代には、日本に小さなピアノメーカーがたくさんあったそうです。大量生産になる前の時代で、職人さんが一つ一つ作っていったピアノなんだそうです。弦の張り方がすばらしいと言われてました。そして音も、日本のピアノよりもドイツのピアノに近い音がするのだそうです。

画像を見ておわかりの通り、使われている木が、国産の美しいもので、鍵盤は象牙。売り物にはならず、売却すると燃やされてしまうこともあるそうですが、実は、骨董品的価値があるようです。

そして驚くべきことには、重くて弾きにくい鍵盤は調律師の腕が悪かったからで、もっと、きちんと調律をすれば、いい音が出るとのこと。ピアノが上達しなかったのはひとえに調律師のせいであると!50年前の私に聞かせたいような言葉でした。

そんなわけで先週、一日がかりで調律をしてもらいました。
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あまりに時間がかかるので、心配になるくらい熱心に調律をしてくださったのですが、調律をしてもらうと、ほんとうに音が変わります。
不具合が出たら、また修理してもらうことになり、何年ぶりかでピアノの楽譜を出して時々弾いています。

それから、沖縄にあるスタインバッハは、なんと、会社がすでに傾きかけていた?平和楽器がヤマハの部品を使って作った物なのだそうで、道理で同じメーカーなのに、沖縄のものは鍵盤も軽くて弾きやすかったのでした。(平和楽器というメーカーは今はありません)

そして、古い家に暮らすことに決めた私ですが、これから、古いものの良さをもっと知りたい、もっと、ていねいに、ゆっくり暮らしたいと思いました。納戸の中にたくさんの古いものがあって、さて、少しずつこれを掘り出すことになるのですが、残りの人生を豊かに過ごすために、自分の価値観を少し見直そうと思ったりしています。
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# by theresesakai | 2015-02-04 18:00 | 日々の暮らし | Comments(2)
2015年 01月 02日

あけましておめでとうございます。

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新年は雪であけましたが、みなさまの所はどうだったのでしょうか。2015年はとてもにぎやかに始まりました。
息子と娘がそれぞれパートナーとやってきて、大晦日、お正月と過ごしています。

2014年は本当に色々とあった年でした。確か、年の初めのおみくじは「大吉」だったと思うのですが、中身が「最後にはすばらしい幸せがやってくるから、辛抱せよ」みたいな中身でしたが、それがそのままあたりでした。
骨折もしたし、義理の母の危篤、入院かれこれもありました。

娘も息子も結婚したのですが、相手のあることですから、相手方の家の考えとこちら側の考えとをすりあわせするのに、いろいろと苦心もしました。その結果、みんなが納得の結婚式になりましたし、こうして、年末に帰省をしてくれるのが有り難いと思います。
わいわいしながら年末の飾り付けをし、わいわいおしゃべりしながらおせち料理をかこみました。

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父と母を見送り、家族が減った分、お嫁さん、お婿さんと二人が増えて、家族は6人。
そして、娘のお腹には赤ちゃんがいます。
さあ、2015年は「おばあちゃん」になる準備をしなくては…実は…前から、『西の魔女が死んだ』のおばあちゃんになるのが理想で(笑)まだ死ぬわけにはいきませんが…

今年の目標は、まず、体を整えるための運動をすること。
そして、自分の居場所を整える事。
沖縄からの引っ越しがあるので、久しぶりの夫との生活と仕事のバランスをうまくできるように…
さあ、気負わず、手を抜かず、2015年も行きます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
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# by theresesakai | 2015-01-02 17:48 | 日々の暮らし | Comments(2)
2014年 12月 22日

書くことで救われた話

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先週は雪ではじまりました。娘が出かける7時半頃には積もっていた雪が、お昼には消えていました。
今週もまた、寒いはじまりですが、気持ちは上向き。
金曜日で2014年の仕事が終わりまして,年開けて数回の講義を残すのみとなりました。

振り返ってみるに,生きてきた中でも,こんなに忙しい一年は記憶にないほど,いろんな出来事のあった一年でした。そして、
前回のブログに書いた義理の兄弟との葛藤も,少しばかり落ち着くところが見えました。

とにかく怒りが去って考えると、当たり散らされた感じのメールのやりとりは、立ち位置の違いが大きく影響しているような気がしました。
遠くにいる,年老いた親を気にしながら、自分のやりたいこととの葛藤に苦しんでいる義理の兄妹。
近くにいて、それほど頑張って介護する気はないけど,放っておけないから手を出して、同じようにやりたいこととの葛藤になっている私。
むこうの方は,両親と自分との板挟みなのですが、私の方は「頑張ってみたい」自分と、そうでない自分との葛藤とでも言えばいいのか…

そして何より、情報が伝わっていない。
メールでのやりとりでかけている部分とか、想像がつかない部分があるんだろうなと思うと、めんどくささを乗り越えて、「書く」しかないだろうという結論に至りました。

それに、新聞に連載されていた介護特集でも、介護を担った人が報われないどころか、遺産相続でもめることが多いとか…

ふっと、「次男の嫁が,勝手に両親のお金を使った」みたいに言われても困るね~起きた出来事を記録しておかなければと思ったのでした。

ことの起こりは,義母の病気をきっかけに、両親が以前いた住宅型老人ホームから、施設型老人ホームへと移ったこと。
義理の母の入院中に,義理の父が元気が無くなり、動かないので寝たきりになりそうであったこと。
それを何とかしてほしいというのに、ケアマネージャーがなにもしないこと。
電話をしたがる義父に電話線を切った電話を持たせていたこと。
とにかく、施設が何とも言えず臭うこと。

思いつくことを次々に書いていき、施設を引っ越すことになったいきさつを書きました。
そして、引っ越しになぜ丸一日かかったかと言うことも…

ものをため込むタイプの義母が、たくさんのものを持ち込んでいた上に、入院中の引っ越しで、段ボールに入れたままのモノがたくさん、使わない浴室に詰め込まれていたのでした…
限られたスペースである上、不要なものを持って行くこともないので、仕分けをしたのですが,それもすごく大変でした…(なぜか温泉卵を作る機械が持ち込まれておりました)

そしてお金のことも。
ひと月の年金がどれくらい入って、新しいホームの支出がどれくらいになるか…
そんなこんなを書いてみるとA4で4枚にもなりました。
それを必ず読んでくださいというメールを付けて送ったのです。

書いて見ると,自分の整理になるのはよく分かりました。こんなにエネルギーをかけていたんだという気持ちと同時に,無事に引っ越し終わった達成感もありましたし、お金に関してももう一度整理して,確認できて良かったと思います。
数日後、義理の兄と妹から読了のメールが届きました。
そして、妹からはお礼と,月末に帰国すると言う報告が。
メールの文面から、安心と感謝の気持ちが読み取れましたので,ホッとしました。

今日の帰国なので、たぶん今頃、博多で両親の所に来ていると思います。
クリスマスプレゼントかな?

自分に兄弟がいないのでよく分からないのですが、切っても切れない縁があることは確かで、とりあえず、大げんかにいたらずに良かったと思います。
でも、努力したのは私だけのような気が…
まぁ、いいか。

ずっとアップできなかった,秋から春への庭です。
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# by theresesakai | 2014-12-22 15:14 | 季節の花や木 | Comments(2)